わじまの海塩
ができるまで

「わじまの海塩」の製塩工程や製塩士をご紹介します

「わじまの海塩」の製塩所

「わじまの海塩」は、石川県輪島市にある製塩所で作っています。どのような装置でどのように作られているのか、ご紹介いたします。

「わじまの海塩」の塩工房

岩塩が取れない日本では、海水から塩を抽出してきました。海水を蒸発させ、濃縮したかん水(濃い塩水)を釜で炊いたり、天日にさらして塩の結晶を作る製法が採用されています。


中でも能登半島は揚げ浜塩田のメッカとして知られています。海岸に作った塩田に海水を散布することでかん水を得、それを釜で炊き、貴重な塩を作ってきました。


その中で、弊社の塩工房では、釜も火も使わず、室内で塩作りをしています。輪島朝市で有名な輪島市内に「能登 わじまの海塩」の塩工房があります。

製塩装置

能登の揚浜塩田を見たことがある方がおられるかもしれません。

ここでは揚浜塩田とはまったく異なる製法で塩を作っています。

15坪ほどの塩工房にはステンレス製の大きな水槽1基と、その半分ほどの大きさの、保温性の高い製塩槽を2基設置してあります。

それぞれの水槽には木製の棚が組んであり、その棚に吊り下げた特殊なライトでかん水を蒸発させ、塩を作っています。

熱と風で

フランスのゲランドの塩は、太陽と風の力だけで塩を作っています。

「わじまの海塩」は、ゲランドと同じような環境を室内に設置した水槽の中に作り、塩を作ってきました。太陽のかわりにライトをかん水に当て、扇風機で風を起こし、それにより、塩の結晶が出来てきます。

オリジナルのライト

傘の下には、蛍光灯のような長いライトを装着してあります。あまり明るくありませんが、350度の高温を発する特殊なライトです。

熱源の会社にオリジナルのライトを開発してもらい、今、使っているラントは、初期型のものから改良をしていき、4代目です。

ライトの傘もオリジナルで製作して使っています。


かん水作り

ステンレスの水槽には、塩分濃度25%前後のかん水が入っています。底には、塩の結晶が残っています。  

輪島沖および沿岸で取水した清浄な海水をタンクに入れてあり、ポンプで、ろ過しながら、水槽に海水を注いでいきます。

海水を加えると水槽内の、かん水の塩分濃度が薄くなります。水槽にライトの光を当て、扇風機で風を送ると水分が蒸発。再び塩分濃度が濃いかん水が得られます。

最初から海水で作るわけではないこと、上側と下側で濃度が異なってくるかん水を丁寧に混ぜ合わせることで、効率的に高い塩分濃度のかん水を作ることができます。

水分が蒸発する過程で、不純物が浮いてきます。それを丁寧に取り除いていきます。

こうして、かん水は透明度を増していきます。




かん水をタンクへ

かん水の塩分濃度が高くなったら、いったんタンクにくみ上げます。真冬の能登の海は、シケる日が多く、取水する船が出港できない日が多くなります。かん水をタンクに保管しておけば、真冬でも安定して塩を作り続けることができます。



かん水から塩の結晶ができる


タンクに貯めておいたかん水を製塩槽に移し、ライトを照射します。すると、かん水の水分が蒸発し、塩分濃度がさらに濃くなり、飽和に達すると、表面に塩の結晶が浮かんできます。やがて、結晶の量が増えてきて、一晩の間に、塩ができあがります。

かん水の濃度が濃くなりすぎたり、薄くなったりしないよう、注意深く観察し、調整するという手間をかけることで、すくすくと塩の結晶が育ちます。

 


ライトの高さの調整

ライトを水面ぎりぎりに下げると、短時間で塩を作ることができます。でも、急速に結晶を作ると粒が細かくて、しょっぱい塩になります。

ライトを水面から遠ざけ、時間をかけてゆっくりと水分を蒸発させると甘みを含んだ、大きな結晶の塩ができます。

ライトの高さを調整して、結晶を調整していきます。

塩の結晶を収穫

製塩槽の中に、まだ、塩分濃度の濃いかん水(飽和塩水)が残っているうちに、塩の結晶をスコップですくいあげて、ザルに入れます。

人が塩を作っているのではなく、人は、塩ができるのを手伝っているだけ。そのため、「収穫」という言葉を使っています。



できたての塩

できたばかりの塩は、水分(ニガリ)をいっぱい含んでいます。

ご覧のように結晶が大きいのが、「わじまの海塩」の特徴の一つです。結晶に光を当てると、透明でキラキラしています。雪と同じで、塩の結晶もほんとうは透明で、光りの屈折で白く見えるのです。


にがり切り

ザルに移した塩から、余分な水分(にがり)を切れば、塩が完成します。

残ったにがりは、マグネシウムの割合が高く、少し苦味がありますが、豆腐を作ったり、飲み物に垂らしたり、お風呂に入れたり、肥料にしたりなど、多用途に使用できるため、にがり用のタンクに貯めておきます。

 

塩の仕上げ

塩は結晶の大きさによりミネラルバランスが微妙に異なります。いろいろな大きさの結晶を手で混ぜ合わせ、ブレンドしたものが、「わじまの海塩」です。


商品である以上、同じものを作り続けなければなりません。舌で味を確認するのではなく、手触りで判断してきました。ざらざら感、ぬるぬる感、すべすべ感、あるいは手に残る白い粉の様子など、手の感覚で仕上がり具合を判断します。


「わじまの海塩」のできあがり

できあがった塩を計量・梱包して、「わじまの海塩」が完成します。


「わじまの海塩」は、日本海・輪島沖および沿岸の海水を使用しています。
この海域は、暖流と寒流が交じり合う海域で、魚介類や海産物の宝庫です。

塩職人・中道肇

「わじまの海塩」の塩職人、中道肇の経歴です。

  • 石川県輪島市で漁師を営む父と、海女の母の間に生まれました。
  • 舳倉島で育ち、小学生の頃から底曳網、はえ縄、釣りなどでタイ、メバル、カレイ、ハマチ、カニなどを獲り、家計を助けてきました。
    いたずらのお仕置きとして、夏休みの1か月間、輪島沖の無人島で、友人と2人で自給自足生活をさせられたこともありました。

  • 16歳のとき、函館の清水漁業に就職。遠洋漁業の船乗りになり、ニュージーランド、オーストラリア、シベリア、アラスカ、カナダなどでイカ、サケ、マス、ニシン、カツオなどを獲っていました。

    18歳で冷凍長となり、魚の商品価値を高める冷凍技術が評価され、船員組合より、当時、最年少で「最優秀冷凍長賞」をもらいました。

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  • 23歳で結婚。それを機に遠洋漁業の船を降り、輪島近海で操業するタグボートの船長に。クレーン運転士、潜水士などの資格を取得し、港や橋を造る水中土木の仕事にもたずさわってきました。
  • 36歳で「なかみち屋」を設立。干物作りなどの水産加工業を始めました。干物作りをする中で塩の重要さに気づき、41歳のとき日本海の海水を使った塩作りに着手します。

  • 珠洲市や、能登町や輪島などの製塩所で塩作りに専念。舳倉島製塩所の設計開発を経て、2009年に(株)「美味と健康」の輪島事業所長に就任。弊社が輪島市内に構えた塩工房の設計開発を担当し、塩作りを始めました。
  • 2019年、自分の漁船を持ち、漁師にも復活しました。
  • 毎日、塩作りをしていると様々な形状の結晶ができます。キャラメルのような形になることもあれば、ピラミッド型になったり、巨大な塊ができることもあります。

    20年塩を作り続けてきましたが、塩は謎だらけ。どこまで探求すべきなのか、到達点がありません。塩にとりつかれちゃいました(笑)。

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